新高山城跡見学…登山でした
今回の地元旅は、三原市本郷町にある新高山城跡へ。毛利家内いちの切れ者、智謀の名将こと小早川隆景がこの新高山に築城し45年程暮らした城で、続日本名城100選に選ばれた三原市の観光名所です。この山は標高約200mで築城するにあたり山全体を要塞化し60以上の曲輪を配置していたそうです。切り立った崖は天然の要害…山頂(詰の丸)までは楽には登らせてくれないようですね。
新高山城入り口
ここが新高山城跡入り口ですがなかなかいい雰囲気をだしてますね…手入れがあまりされてないのかな?でもまぁ冒険心をくすぐるこの秘境感は嫌いじゃないんで。竹の杖を用意してくれている親切設定、山道が苦手な人でもこれで少しは楽に登れるかも、とは言え道中自然のままの道が多いので動きやすい服装で肌の露出は少な目でトレッキングシューズが安全かと思います。
鐘の段と番所跡
登り始めて最初にあるのが鐘の段と番所跡…当時の土塁が残っており、ここから大手道を警備していたそうな。
小早川家菩提寺 匡真寺
更に登ると匡真寺跡に到着。小早川家の菩提寺で結構大きな建物だったようですが、今はその建物の面影は無くなっていますが足元の瓦の欠片だけは当時のままを残しています(史跡に指定されてますので持ち帰りは禁止ですよ)。
この石碑に彫られている歌は毛利元就・隆元がこの城を訪れたときに詠まれたものだそうです。
隠しルート?を通って竪堀発見
山頂ルートから外れて北の丸からへ紫竹丸に向かう途中、意図的に作られた斜面の凸凹が目を引きます。山城でよく使用される竪堀というもので敵の行動を阻害させる細工の一つ、この起伏が邪魔で攻撃側は直進を強要され部隊を広く展開できなくなるといった感じですね。ちょと草が生い茂っていて分かりづらいんですがこの辺りの様に連続した竪堀を「連続空堀群」や「畝状竪堀」と呼ばれています。
しかしながらこの竪堀群は山頂ルートから外れていることから人が全くと言っていいほど通っておらず、草木が生い茂って少々危険な道となっています。↓の画像の様に道が無くなっている箇所もあり一人で行くのはあまりお勧めはできません。
山城の重要施設 釣井の段
本丸から少し下り釣井の段へ、6つの井戸とそれを囲む曲輪を配置かつては立派な石垣に囲まれていたようですが、その石垣は三原城築城の際に持ち出されたそうです。
↑当時の姿を残す石垣を発見!
↓枯れているのもあれば未だに水を貯えている石積みの井戸も。
山頂ルートへ戻って本丸跡
寄り道から戻ってきて再び山頂を目指し本丸跡。ここにあった石垣もその殆どが三原城築城の際持ち出されてしまって、今ある巨石は過去の石垣の一部を残すのみ。当時の本丸は4段からなる大きく堅固なものだったそうです。
本郷を一望できる新高山山頂 詰の丸
本丸より高い位置「詰の丸」と呼ばれる新高山山頂に到着。山頂からは本郷の町に沼田川、川を下っていくと瀬戸内海まで一望できるビューポイント。ここから見ると陸に川と交通の要所がしっかり押さえられる立地的には最適な場所だったんだなと認識させられますね。
山頂には多数の仏像彫刻が祀っており、廃城後も修験道の山として新高山は信仰の対象とされてたそうです。ちなみに隆景公には山伏姿の天狗との問答の伝奇物語があってなにかしら因縁でも?。
↓向かいに見えるのが「高山城跡」小早川家が代々守っていた山城で年代は不明。南北時代の文献に初めてその名前が確認されている古城でしたが、新高山城に拠点を移しその役割を終えることになりました。そしてこの新高山城も1596年三原城に拠点が移った際廃城となりました。
本郷のシンボル「新高山城」を満喫
片道約30分ほどの登山でしたが、道中散策しながらゆっくり登ればそれ程きつくないと思いますので、山城に興味がある方・体が鈍っているという方は是非一度、いや山は季節で表情が変わるので何度でも登ってその変化を感じてもらいたいなぁと思います。
山城散策ですが登山ですので山登りの服装は忘れずに無理をしない安全なトレッキングを楽しんでください。